こんばんは、ツイてる坊主です。
本日の斎藤一人さんの教えは、「楽行(らくぎょう)」というお話になります。
釈迦が悟りを開き人を導く時に、難行苦行といって断食や滝行、座禅などをやっていました。
しかし、難行苦行では悟れる人があまりに少ないということで、南無阿弥陀仏を唱えなさい!ということを教えたんですね。
ここで現代にもつながる重要なポイントが、「心では何を思っていてもいい」という点です。
つまり、心で浄土を描く必要はなく、「はじめに言葉ありき」といって、まずは言霊を口にすることが大事なんですね。
この教えに対して、「心にもないことを言うんじゃないよ!!」と感じる人もいると思いますが、「ありがとう」や「感謝してます」といった言葉を口に出す時点で、心はすでに伴っているんです。
だから、人間の悩みが無くならないということは、当時の釈迦が難行苦行をしてすでにわかっていること。
なので、実は、言葉や外見などの「形」から入ることは、幸せに生きる上で、欠いてはならないものなんですね。
人間心理としては、幸せになるためには「悩み解消が必要不可欠!」という考えが、先行してしまう時もあると思いますが、悩みはなくならないものです。
悩みがあってもいいから、ひとりさんの「天国言葉」や「心に灯がともるような言葉」を、普段から口癖にするようにしましょう。
では、なぜそういった生き方が必要なのでしょうか。
それは時間の経過と共に、時代が変化し、難行苦行の時代から、遊行の時代、そして今度は楽行(らくぎょう)の時代に移り変わってきたからです。
つまり、苦しいことや辛いことを我慢して乗り越えるのではなく、この世を遊びのように学び、楽に楽しく学ぶ必要があるということ。
例えば、本田宗一郎さんがオートバイを作っていた時も、楽しくてワクワクしながら仕事をしていたからこそ、大成功を収めることができたんですね。
また、甲子園を目指す高校球児も、野球の練習で苦労する以前に「野球が大好きで楽しい!」という前提があるからこそ、上達するわけですし、結果にもつながってきます。
だから、以前はスパルタ教育で、先生が生徒に暴力を奮ったり、会社でも裏でパワハラをして隠蔽したりという時代もありましたが、今の時代ではそういったものは通用しません。
これからは、「楽行(らくぎょう)」といって、この世の学びを、楽(らく)に楽しいものにしなければ、幸せに生きることはできないのです。
弱肉強食の時代でもなく、権力の時代でもなく、この人生を楽しく生きる人が幸せになり、成功することが可能な時代。
この考え方を無視した人は、苦労の先には苦労が待っていて、我慢の先には恨みが待っている、これを繰り返すことになります。
一方、自分が進んだ道で「ワクワクするような感覚」があれば、その道こそが楽行(らくぎょう)の道。
人間は何度も生まれ変わるので、どうせ生まれ変わるなら、またこの世に戻ってきたい!と思うような楽しい生き方をしましょう。