神様・因果

【斎藤一人】不運が続くときは神の愛が届いているサインです。

こんばんは、ツイてる坊主です。本日は、斎藤一人さんの教えをもとに「不運が続く時は神の愛が届いているサイン」というお話をしたいと思います。

何だか最近不運なことが続いているなと、そういう感覚を持った時は「何か自分の考えに間違いがある」というサインなんですね。決して、天の神様から罰を与えられているわけではありません。

そのまま自我(エゴ)を貫いてしまうと、幸せの道からズレていってしまうので、あえて神の愛でうまくいかないような展開に流れているのです。

そこで、幸せの道か不幸の道か、その見分け方の鍵を握るのは、自分自身の感覚(感じ方)にあります。

現時点のいて、まだ何も決断や行動をしていなくても、未来をイメージした時に心地よさや気持ちの明るさを感じるようなら、幸せの道です。

一方、未来をイメージした時に、思考を巡らせたり、人の意見を参考にしたりすれば正解だとしても、なぜか不快で気持ちが暗くなるようなら、不幸の道といえるでしょう。

まずは、自分自身が今考えていることに間違いはないか、その辺りを省みる必要があります。

その時にどんな答えが出てくるかは人によって異なりますが、僕自身の感覚としてはこのことを忘れている時に「運」が続くことが多いです。

それは『自己愛』です。自分のことを愛することができず、自分自身を粗末に扱っている時に、なぜか物事がうまくいかなくなります。

なのでそういった時は、最近ちょっと自分に厳しくしすぎていないかを振り返り、もっと自分を褒めて、労って、許して、認めて、愛するといったことを大切にしています。

ちなみに、この自己愛というのは「自己中」とは全く意味が異なるものです

自己中というのは、外に意識を向けて、誰か自分のことを助けてくれないかな、愛してくれないかなと、実は「外に焦点が当たっている状態」なんですね。

自己愛の場合は、内に意識を向けて、自分のことを褒めたり、喜ばせたり、上機嫌でいい気分の状態に「自らの意思」で持っていくことです。

どんな考え方で一日を過ごすと、腑に落ちる感覚になるのか、しっくりくるのか、安心の波動が湧いてくるのか、そういった心の内側を大切に扱う必要があります。

人間はどうしても嫌なことが続くと、イライラしたり焦ったり不安になったりしてしまいますが、不運とも思えるような出来事が続いたとしても、それは決して神様の罰ではありません。

もちろん、現世で起きる出来事に対して、「いい体験」と「悪い体験」を分けて考える気持ちはよくわかります。

でも、本当はどの体験も「魂が望んでいた体験」であり、生まれる前に自分で決めてきた人生のシナリオなんです。だから本来、どんな現実が目の前に反映されていたとしても、魂の視点で見るといいも悪いもありません。

人生のシナリオは宿命(定め)と言われるもので、人間がこの3次元の地球に誕生してからは変えることができないんですね。運命は変えることが可能ですが、宿命は基本的に変わりません。

例えば、生まれる国・性別・両親・人との縁・起きる出来事・寿命など、どうしても変えられない必然的な要素があると言われているんですね。

これは斎藤一人さんだけでなく、一人さんが講演会でおススメしていた小林正観さんの本にも詳しく記されています。

なので、その時は「不運で最悪だ・・・」とどん底を味わうことになっても、数年後に当時のことを振り返ると「あの出来事があったおかげで成長できた」と感謝することができるんです。

これからは、何か嫌なことが起きる度に、「魂がこの体験を望んでいたんだな」「シナリオ通りの体験をしただけなんだ」と、前向きな解釈をするようにしましょう。

決して、自己否定をしたり他人を責めたりしないこと。そんなことをしてしまったら、二重にも三重にもさらなる不運を引き寄せてしまいます。

あなたは何も悪くないし、身の回りの人が悪いわけでもありません。全ては起こるべくして起こった出来事です。どれだけ失敗しないように気をつけていても、避けることのできない必然的な出来事もあります。

もし、どうしても現実を受け入れることが難しい時は、斎藤一人さんがおススメしている「言霊の力」を使うようにしてみてください。

「大げさに考えない」「なんとかなる」「大丈夫」「どうせうまくいく」「まぁいいか」「ふわふわ」。

こういった気持ちが軽くなる天国言葉を口癖にして、少しでも心の幸せを感じる時間帯を増やしていくようにしましょう。

それで、仮に病気やコロナの感染などで休まなければならなくなっても、寿命を迎えるまでは生きることになりますし、休む体験をする中で、必ず考え方を明るい方向に軌道修正することができるはずです。

例えば、頑固な人は「柔軟な考え」を持ち、頑張りすぎた人は「遊び心」を覚え、冷たい人は「優しさ」を思い出すといった形で、必ず何かかしらの成長を遂げることができるでしょう。

ひとりさんの教えによると、「病気は神のお知らせ」なんだそうです。自分の中にある間違いを修正しなければならない時に、神様から愛のメッセージとして人生を省みる機会を与えられることになります。

人間の視点では、どう考えても不都合な経験だとしても、そういった機会がなければ自分を愛することも魂を成長させることもできないまま、現世を終えてしまうことになるかもしれません。

なので、災難とも思えるような出来事が起きても、いたずらに恐れないこと。恐れるのではなく「」を出すことに意識を向けるようにしてみてくださいね。

斎藤一人さんいわく、人間には「」と「恐れ」の2つしかなくて、愛が出ている時に恐れは出てこない。そして、恐れが出ている時に愛は出ないんだそうです。

愛とは「自由」のことを指しています。愛=自由です。これまであなたは、こうしなければならない!ということを優先してきたのかもしれません。

もっと自分を自由にさせてあげてください。もっと自分を愛し、もっと自分を大切にし、もっと自分にご褒美をあげるんです。

そして、不安や心配事などの恐れが出てきたら、その都度、今日一日精一杯生き抜いた自分のことを褒めてあげることが大切です

他人と比較で「この先どうしよう」と悩むのではなく、10年前の自分より「一歩でも前に進んだら合格」と、そういった広い視野を持ちながら、自分に優しく、他人にも優しく生きていきましょう。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。感謝してます^^

参考:【斎藤一人】「不運が続く時」に必ず忘れていること!神のお知らせ☆

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