こんばんは、ツイてる坊主です。
本日は、斎藤一人さんから学んだ「アメノミナカヌシ様のサインに気付く方法」について、お話していきたいと思います。天之御中主神(アメノミナカヌシ様)は、この宇宙を創造した存在として、全てを司る『最高神』であると言われています。
ひとりさんは、子供の頃に光の玉(アメノミナカヌシ様)と出会い、その時に、この人生におけるありとあらゆる質問に答えてもらったんだそうです。そして、それ以降も、大事な局面では天からのメッセージを受け取ってきました。
この目には見えない現象を宗教だと切り捨てる人もいますが、こうした「直感・インスピレーション」というのは、成功者の共通点のようなところもあります。なので、決して軽視できる話ではないんですね。
それで、こういった話を聞くと、「自分も霊能力者みたいな能力が欲しい」とか、「私も神様に助けてもらいたい」と思う方が多いのかもしれません。
ただ、ひとりさん自身は、「私は皆がディズニーランドに行くのと同じくらい神社でお参りをするのが好きなんです」とおっしゃっていて、常に「神様のお役に立ちたい」という気持ちで毎日を生きているんですね。
だから、神様に助けられるためではなく、神様のお役に立つために神社へ行っているのです。波動の高い神社へ行くだけでなく、ひとりさん自身は、いつも波動の高い「豊かな心」を大切にしています。
では、直接アメノミナカヌシ様の声を聞くことができない人は、どのような方法で、目には見えないメッセージやサインに気付いたらいいのでしょうか。
これは、あくまで個人的な見解になるので、この考え方が絶対に正しいというわけではありません。
私の場合は、まず、毎日「アメノミナカヌシ様、お助け頂きましてありがとうございます」という言葉を100回、唱えるようにしてます。
その上で、ふと頭の中に浮かんだ言葉を、すぐにスマホの音声メモで記録するようにしているんですね。その内容は、本当に小さな気づき、小さな幸せ、小さなアイデアなどです。
中には、「人から言われた言葉」や「偶然目にした本の一部」から、今の自分に必要なことのヒントを受け取るという方もいるでしょう。
ただ、私自身が今まで何度も助けられてきたと感じるのは、特に『寝て起きた直後』に、ひらめく「アイデア」や「気付き」です。特に、寝起き後の朝に出てくることが多いです。
それが、単なる思いつきではないと感じる理由は、こういった知恵を「自我(エゴ)の力」だけで思いつくだろうかと考えた時に、これは自分一人の発想ではないと感じるんですね。
日によって全く何も出てこない時もありますが、多い時は何百という数の「気付き」が、次々と湧き上がってきます。
私はそれを一つ一つ実践してきたことで、毎日の生活環境が改善できたり、仕事が少しずつでも進捗したり、着実に目標の実現に近づいたりと、そういった充実した毎日を送れるようになりました。
例えば、「あの人の本を読んでみようかな」「毎朝、必ず柔軟体操をした方がいい」「玄関の掃除しばらくやってなかったな」「こうすれば仕事が効率化できるかも」など、こういった小さな気づきに、日々助けられているのです。
また、そういった気付きというのは、「具体的な行動」の時もあれば「概念」として、考え方や生き方、思い癖などを改めるようなものもあります。
例えば、「過去のあの出来事はこう解釈すれば明るい気分になるな」「もっと人に対する許容範囲を広げないとダメだ」「卑屈にならないで、自分の強み・素材を生かせる分野で勝てばいいんだ」など、本当に多種多様です。
こういった気づきは、自身の心を内観しながら出てくるものなので、「神様の声」と表現していいのかどうかはわかりません。
ただ、少なくとも人間の「魂」と「肉体」を、人間の力だけで創ることはできないわけですから、ひとりさんがおっしゃる通り、人間一人一人の中には、分け御霊という形で内神様が存在しているのでしょう。
だから私は、思考ではなく感覚的に、「自分の心が発している言葉」や、「脳の中で生み出された言葉」こそが、アメノミナカヌシ様に助けてもらう一番の方法だと思っています。
この話は、全く信じられない方もいると思いますが、もし、神様がいると仮定して考えた場合に、神様はどんな人に奇跡を起こしたいと思うでしょうか。
普段から、「ありがとうございます」「感謝してます」「幸せです」といった言葉を使っている人なのか、それとも、愚痴や不平不満、泣き言、悪口を言っている人なのか。
おそらく、前者の人に対しては、いい現象を起こしてあげようと、そう思うはずですよね。
実際、「自分一人の力で絶対に夢を叶えるんだ!」と、強い気持ちと気合いで努力をしていても、不機嫌で人に冷たかったり、身近な人や物に対する感謝の気持ちが欠けてしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいます。
世の中には、頭がよくて器用な人がたくさんいます。でも、仕事ができない人をバカにしたり、あざ笑ったり、不親切にしたり、そういう不幸の種を蒔いた先で、幸せの花が咲くことはありません。
そのような因果を作ってしまうと、現世では何とかなったとしても、来世ではその因果を自分自身が必ず刈り取ることになります。
中には、「先祖の報い」を持ち出す人もいるようですが、先祖の行いは先祖自身に還ってくるものですし、あなたの行いはあなたに還ってくるものです。
ちなみに、人間が死んだ時に、あの世で神様から聞かれることは、2つだけと言われています。
『あなたはこの人生を楽しみましたか?人に親切にしましたか?』
この2つだけです。もし、現世の人生を楽しむことも、親切にすることもできていないのであれば、どこか考え方に間違いがあるのかもしれません。
人生がうまくいく時は、その方向に意識を向けただけでワクワクするものですから。
毎日の生活の中で、「何だか最近しっくりこないな。。」と、悩みや苦しみを感じた時は、自我の一辺倒の考え方に固執していないか、一度、自分の中にいる内神様と対話をしてみてください。
ということで、本日も最後までお読みいただきありがとうございました!感謝いたします。