こんばんは、ツイてる坊主です。
本日の斎藤一人さんの教えは、「義と仁の話」についてのお話です。
仁義という言葉がありますが、ひとりさんいわく、本当は「義」→「仁」の順番で解釈する必要があるんだそうです。
「義(ぎ)」が一番で、次が「仁(じん)」。
まずは、「美しい」という漢字について覚えておくことが一つあります。「美しい」という漢字は、羊が大きいと書きますよね。
羊のボス(指導者)は、おとなしい動物だと言われますが、羊の大きいのはオオカミなどの外敵から襲われた時に、みんなが逃げ切るまで戦います。
それで、みんなが逃げ切ってから、ようやく自分も逃げるのです。
ただ、その際に、もちろん捕まることもあれば、食われてしまうこともあるでしょう。
つまり、人間の世界での美しい指導者というのは「羊のボス」であり、身をもって社員やお弟子さんを守らなければなりません。それが指導者というもの。
つまり、『義』とは、この羊に我も見習おうじゃないか。自分一人しかいなくても、みんなを守って、自分もがんばろうじゃないか。これが「義」なんですね。
そして『仁』とは、羊が一生懸命、外敵と闘うとなれば、羊なら周りのみんなが一斉に逃げてしまうけど、人間なら異なるということ。
人間の場合は、あなたが一生懸命闘っているなら、「自分も一緒に闘おうじゃないか!」と、こうなるわけです。
つまり、「あなただけ行かせるわけにはいかないよ!」と、粋に感じる。
だから、羊が大きいと書いて「美しい」という漢字になるのです。正しいことなら私も行く。これが「仁」です。
だから、仁義ではなく、まず第一に「義」じゃなきゃいけない。この魅力のことを斎藤一人さんは伝えたかったのです。
ひとりさんが「これは俺一人でもやる!」と言った時、それでもついてきた人が本物であるということ。
上に立つ人間はこれを忘れてはいけません。社長だから偉いとか、株を何%持ったら偉いとか、そんなことでは魅力がないですし、誰もついてきません。
「義」がなければ、「仁」も伴わない。このことを忘れないようにしましょう。
最後に、義理と人情と浪花節の話。頭文字をとると略してGNN。
怒髪天の「唐獅子牡丹」に、「義理と人情はかりにかけりゃ義理が重たい男の世界」という歌詞がありますよね。
この詞には、一体どのような意味があるのでしょうか。
『人情』というのは、例えば、誰か知り合いが死んだ時に、かわいそうだな。。と、涙を流すことです。
一方、『義理』とは、すぐに香典を持って葬式にかけつけること。
葬式に行かなければ、誠意も何も伝わりませんからね。こうした行動のことが「義理」です。だから、とにかく行動に移すことが大事。
これを総称すると「浪花節」みたいになりますが、とても大切なこと。ひとりさんがおっしゃっていた「GNN」とは、義理と人情と浪花節のこと。
今は「もっと楽しく面白く」になりましたが、今でも、GNNのことを忘れたわけではないんだそうです。