【斎藤一人】神様の所有物|万物の持ち主はアメノミナカヌシ様。

こんにちは、ツイてる坊主です。

今日は「万物の持ち主は天之御中主神(アメノミナカヌシ様)である」というお話をしたいと思います。

これからの時代を幸せに生きていきたいと思った時に、一体自分は何を意識したらいいのかわからないよ!という方も多いのではないでしょうか。

スピリチュアルに詳しいインフルエンサーの方々は、執着を手放しましょう、断捨離をしましょう、嫌な人からは離れましょう、こういった様々な発言をしていますよね。

ただ、日常生活の中でそういった知識や情報を完璧に使いこなそうとすると、少し心や脳が疲れてしまうこともあるかもしれません。

そんな中で、僕が最近気づいたことは、『自分一人の力に頼る生き方には必ず限界が来る』ということです。

詳しくはこれからお話していきますが、僕はこの考え方が今後の自分自身を助けることになるのではと感じています。

まず、斎藤一人さんが子どもの頃に見た光の玉は「アメノミナカヌシ様」という宇宙の創造主であるといわれていますよね。

この宇宙の創造主のことを人間は「神様」と表現しているわけです。もちろん宗派によっていろんな呼び方はあるかと思います。

それで、人間が人工物ではないことは誰もが知っているわけですが、かといって日本人は神様を信じている方が多いわけではありません。

神を信じるどころか、この世界は人間の手によってどうにでもなる!人生は努力次第で何とでもなる!と思い込んでいるケースがほとんどなのではないでしょうか。

当然、人によって見方は異なるわけですが、僕個人としては「万物は神様の所有物である」という考え方が一番しっくり来たんですね。

なぜなら、人間を創った存在が神様である以上、人間が何か新しいものを生み出す時の「知恵」や「ひらめき」というものも、神様のアイディアで生み出されているといっても過言ではないからです。

しかし、多くの人は家族・仕事・お金・健康などの衣食住に対して、基本的には自分自身の力に頼り切っている側面を強く持っています。

こういった話をすると「いやいや、私は自分の子どものことを必死に考えています」と言いますが、『自分の~』という自我の視点で相手を見ていますよね。

例え自分の子どもであっても親であっても、一人の人間として尊重しなければ過度な期待から苦しい関係性になってしまいます。

そんな時こそ「神様の創造物」として見れば、みんなが同じである必要はないし、依存・執着せずとも許し合える関係性を意識できるはずです

また、自分の健康面に関しても、普段食べている食料は基本的に「自分一人の力」では手に入れることができません。

外に意識を向けて条件付きの幸せを考える前に、今目の前にあるご飯、お魚、お肉などを食べられる奇跡に感謝するようにしましょう。

これは仕事においても同じで、世の中には仕事をしたくてもできない方や年をとって無気力になってしまう方もいる中で、神様から仕事を与えられている環境というのはそれだけで幸せなんです。

あなたが会社や仲間のために尽くした行いは、必ずいい形で返ってきます。タイミングは人それぞれ違いますが、あなたにとってベストなタイミングでご褒美がもらえることは間違いありません。

仮に、「こんな会社は嫌だ」「もう働きたくない」と思っているとしても、毎日の生活がなんとかなっているということは、その人にとってちょうどいい最適な環境が用意されているのです

こういった一つ一つのありがたいことに感謝の気持ちを持ち始めると、自分一人の力や未熟さを知ると同時に、もっともっと魂を成長させたいな!と前向きな気持ちが出てくるので、ぜひ試しに実践してみてください。

僕はこの学びを通じて、『万物の持ち主は神様であり全ては神の所有物である』ことを実感として感じることができました。

この考え方を持っているだけで、いつでも自分自身の気持ちを軽くすることができますし、何よりとても楽に生きられるようになります。

人間の視点だけだと、どうしても視野が狭くなってしまいますからね。

理屈で考えてもうまくいかない時は、現実を変える努力ではなく「考え方の改善が求められているサイン」としてとらえなければなりません。

神的な視点は何に対しても応用が利きます。例えば、お金だって必死に頑張った人が必ずお金持ちになるわけではありませんよね。

その時その時、今この瞬間にどんな気持ちで仕事をしているのか、何を感じながら何を思いながらこの時間を過ごしているのか、常にあなたから出ている波動がお金を引き寄せています。

世の中のほとんどの人は、経済的に豊かになればこそ「心の豊かさ」も手に入ると思っているのかもしれません。

でも、宇宙の仕組みとしては、心の豊かさが「経済的な豊かさ」を引き寄せているんです

この順番を間違えるとどちらも手に入らない現実が続くことになってしまいます。

こうした目には見えない原理原則は、信じても信じなくても構いません。信じていなくても幸せに生きている人もいますから。

ただ、毎日心が苦しくて不幸を感じてしまっている方にとっては、魂を成長させるために1から学ばなければならない必須の課題なのでしょう。

本記事を最後までお読みいただきありがとうございました。

感謝してます。




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