こんにちは、ツイてる坊主です。
今日は「アメノミナカヌシ様(宇宙の創造主)の視点て現世を生きる」というテーマでお話ししたいと思います。
自分が宇宙の創造主だとしたらこの現世をどう攻略したらいいのか。攻略というと何かゲームみたいなイメージかもしれませんが、斎藤一人さんの教えの中には「遊行」というものがあります。
普段、仕事がつまらないという人もいますが、毎日仕事に費やす時間がほとんどなわけですから「遊び心」を大切にしながら波動の高い状態を維持していく必要があるんですね。
上司に怒られることが多いという人でも、「今日は何回怒られるか点数表にして数えてみよう」とか、「あの上司のテーマソングはこれがいいかな」とか、そうやって今日一日を自由意志で楽しい方向に舵取りしていくんです。
それで、その時に大事になってくるのは、「自分」と「周囲の人」という括りだけで考えず、俯瞰的な視点を持つことです。
イメージとしては、自分がコントローラーを持って上から自分のことを見下ろし、どう操作したらこの人間は心の幸せを感じるだろうかと、そういった客観的な見方をします。
なぜこうした広い視野が必要となるのかというと、豊かな人生を送っている成功者や、いつも笑顔で心の幸せを感じることができている人は、「自分の機嫌を自分でとることができる」という共通点を持っているんですね。
例えば、斎藤一人さんや一番弟子の柴村恵美子さんを見ていてもわかるように、常に明るい表情で愛のある言葉を使っています。
決してブスっとした暗い顔をしたり、眉間にシワを寄せて悩み込んだり、イライラして不機嫌をまき散らしたりといったことは一切しません。
その理由は、自分のことを客観視できているというのが一つのポイントで、「4方良し」の教えというものがあるように、自分よし・他人よし・世間よし・神様よしといった形で、4方が満たされる答えを導き出しているからなんです。
だから、もちろん一人さんにも好不調の波はあるわけですが、それを表には出しません。
ほとんどの人は何か悩みが出た時に、自分と相手だけでの問題と考えるわけですが、実は、世間からも見られていて、さらに神様からも見られているということを知ると、不機嫌な態度をとるわけにはいかないんですね。
また、斎藤一人さんは、今という時間を1分1秒でも長く「いい気分」でいたいんだとおっしゃっています。
この言葉の真意としては、引き寄せの法則という宇宙の仕組みがあって、今自分が感じていること・思っていること・感じていることが、未来の現実に反映されるようになっているということです。
なので、同じ努力をしていても、未来のために今を自己犠牲にしている人と、「今を幸せに生きることで未来も幸せでいられる」と考えている人とでは、全く異なる未来を迎えることになってしまいます。
もちろん、この話は信じなくてもいいですよ。信じたい人だけが信じて実践してみてくださいね。
ここまでのお話で、知識としては「すでに知っている」と感じた方も多いと思います。ただ、「知っている」を「できる」にシフトできるかどうかが、幸せの鍵を握る重要なポイントといっても過言ではありません。
頭ではわかっているけど、今日は体調がよくないから愚痴をこぼしてしまった、家族に対するイライラがきっかけで部下を怒鳴りつけてしまったなど、こういった経験をしたことはありませんか?
人間なので心がコロコロ変わってしまうのは仕方のないことです。しかし、それをコントロールする「考え方」を持ち、その考え方を日常生活の中で習慣化することができれば、誰にでも「いい気分」を持続させることはできます。
その考え方とは、一言でいうと『自分はただ体験をするために生まれてきた』という見方をすることです。
どうしても人間の視点では、いいことがあったら幸せ、悪いことがあったら不幸という形で、幸せに条件をつけてしまいますよね。
要は、あなたが自分の感情をコントロールできない根本的な原因は、「条件付きの幸せ」を求めているからなんです。
神的な視点で見ると、現世での出来事にいいも悪いもありません。全ては体験を通じて魂を成長させることが目的ですから。
自分が宇宙の創造主として神的な視点を持った時、全ての体験に対して「~のせいで」を「~のおかげで」に変換することが可能となります。
例えば、風邪を引いたおかげで仕事への姿勢を省みることができたり、受験に失敗したおかげで落ち込んでいる人の心の痛みを理解できるようになったり、必ずそういったプラスの側面が隠されているわけです。
これは斎藤一人さんだけでなく、小林正観さんもおっしゃっていましたが、「人はこの世へ生まれる前に人生のシナリオを組んでいる」という教えがあります。
どこの国で、どの両親のもとで、どんな人と縁があり、どういった職に就いて、何に気づくことになり、何才で寿命を迎えるのか。こうしたある程度の枠組みは、宿命(定め)として予め決められているんだそうです。
正直なところ、個人的にこの話は自分にとって、寿命まで生き抜く上での「一つの安心材料」になっています。
なぜなら、ああでもないこうでもないとジタバタしたところで、未来の筋書きは決まっているわけですから、あとは起きた出来事に対する「考え方」を改良して、どんな「あり方(スタンス)」で生きていくか、そこだけに尽力するだけです。
例えば、何か嫌なことがあって一時的に落ち込むことがあっても「魂が体験したかっただけでしょ」「こうなることは決まっていたこと」という形で、いい意味でプラスに解釈できるので、気持ちとしてはかなり楽に生きることができます。
人生に無駄なことなど一つもありません。また、完璧にいかないことも含めて、全て完璧に創造されています。
ぜひ、あなたもこの人生をゲームのように、遊び心を持って何でも楽しくとらえながら、神的な視点で自分自身を俯瞰的に客観視してみてくださいね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感謝してます。