こんばんは、ツイてる坊主です。
本日の斎藤一人さんの教えは、「神様が創造した人間の力」に関するお話になります。
人間の手から出る光を「白光」と言い、その白い光による「手当て」によって、人間は、子供の病気でも何でも治してきました。
また、変な霊がついた時も、この白光で落とせるようになっているなど、神様が創造した人間の力というのは無尽蔵なものなんですね。
だから、例えば、大きな声で「ハッ!」と声を出せば、その気合いで憑りついている霊を何十人も振り払うことだってできるのです。
しかも、この「気合い」を「気愛」として、人のために出してあげる愛に変えると、自分だけでなく、人のことを助けることも可能。
神様は無防備に人間をこの世に出したりはしません。あなたに100の因果があれば、それに対して、あなたは100の意思を持っています。
では、具体的にどういう生き方をすれば、前世や現世の過去に作った因果を相殺することができるのか。その答えは、「明るく生きて人に親切にする」。シンプルにこれだけです。
そもそも、人は因果という言葉を聞くと、神様からの罰を受けるようなイメージが強いかもしれませんが、人間は、この世に「罰」を受けるために生まれてきたわけではありません。
あなたが人にしたことで相手が嫌な思いをしたら、今度は、あなたが人から同じことをされない限り、学びにはならない。
だから、そのことを知るために生まれてくるのです。これが「因果の解消」というもの。
では、一体、どのような行いや考え方が因果になってしまうのでしょうか。
例えば、人をいじめたり不親切にしたりする行いは、もちろんのこと、他にも、暗い考え、心配事、愚痴、悪口、泣き言など、そういったものも因果になってしまいます。
こういったことから、「明るく生きて人に親切にする生き方」というのは、シンプルではありますが、なかなか簡単にはいかないもの。
その代わり、明るく生きて人に親切にした行いが、因果になることは絶対にないので、これを生まれてきた一番の目的として、常に意識することが大事。
もちろん、生きていれば気の合わない人もいますし、嫌がらせをしてくる人もいます。
自分の思い通りにいかないことなんか山のようにあります。
だけど、そこで自暴自棄になったり人をいじめたりしてしまったら、ずーっと、何代にも渡って、生まれ変わる度に、同じような因果を刈り取り続けることになるのです。
例えば、人に嫉妬をして憎めば、必ずあなたも、人から嫉妬されて憎まれる人生になります。
家庭の事情などでイライラして、そのストレスを職場に持ち込み、部下をいじめれば、あなたもいずれ、上司の勝手な都合によっていじめを受けることになります。
また、お金を散財して浪費ばかりしていると、その人にとっての学びは、お金に困る人生を送ることでお金の尊さを学ぶこととなるのです。
こういった「因果関係」を、信じる信じないは個人の自由ですが、なぜこの世の中には幸せな人と不幸な人がいて、一人一人に与えられる試練が異なるのでしょうか。
もし、あなたが、少しでも因果の真実を受け入れたいと思うのであれば、この世で一番のボランティアである「愛と光」を日々実践すること。
愛とは「優しさ」、光とは「上機嫌」のこと。これがこの世で一番のボランティアです。
仮に、あなたに一つの才能もなかったとしても、愛と光は日常生活で今すぐに実践することができます。