弱い者いじめは「不幸な人」による犯罪です【斎藤一人】

こんにちは、ツイてる坊主です。

今日の動画音声は「いじめ」に関するお話になります。

この社会で問題視されていることの一つに、「いじめ」という犯罪があります。いじめは犯罪です。

学校で暴力を奮われたり、お金を盗まれたり、圧力や嫌がらせをされたりしても、結局、加害者が許されてしまう現状があり、あまりにも『犯罪』という認識が甘いと感じます。

今回のひとりさんのお話では、なぜ、人は弱い者いじめをしたくなるのか、その根本部分について話されていますが、やはり親の教育という部分が大きいようですね。

きっと、ほとんどの親は「子供を幸せにしたい!」という一心で尽くしていることでしょう。

しかし、習い事も学歴も上には上がいて、親の期待に応えられたかった時、または親のがっかりした顔を見た時、その都度、子供の心が深く傷ついてしまうことに気付いているでしょうか。

「足りるを知る」という言葉あるように、子供が小さかった時は、立ち上がって歩いただけでも「よかったね♪」と褒めてあげられたはず。

だから、親自身も自分の親から受けた教育というのもあると思いますが、負の連鎖を続けるくらいなら、学歴や学校のテスト以上に、「子供の心」に目を向けてあげるべきだと思います。

不幸な人は、弱い者をいじめる性質があるそうです。幸せな人はそういうことをする気にはなりません。

ひとりさんが伝えたいことは、人間は「仏の心」にもなれるけど「鬼の心」にもなれるということ。

その表裏一体の中で、自分自身がいつも「心の針を意図的に明るい方に持っていく力」を養っておかないと、何か嫌なことがある度に不幸を感じてしまいます。

なので、子供の教育で大切なことは、「人に優しくしなさい」ということだけでなく、「自分の機嫌ぐらい自分でとるんだよ」という教えも必要なのだと感じます。

もちろん、人に対して何ができるかという想像力も大事ではありますが、自分自身が常に「心に明るい灯がともった状態」でいること。そして、何があってもそこに標準を合わせていくことが大事です。




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