【斎藤一人】毒親で親ガチャでも愛を出せば心は幸せを感じる。

こんにちは、ツイてる坊主です。

今日は「愛がある人と愛がない人の違い」についてお話したいと思います。

斎藤一人さんの教えの中に「私は愛と光と忍耐です」や「我は神なり愛と光なり」といった形で、愛という言葉がよく出てきますよね。

それだけ一人さんは愛を大切にしているわけですが、あなたは身近な人に対して、愛がある人とない人を見極めることができているでしょうか。

世の中には自分では愛情だと思っていても、実は「自我の独占欲」で子どもを自分の思い通りに動かしたいと考える方もいるようです。

こういった方はよく『毒親』と呼ばれることが多く、最近では「親ガチャ」という表現が使われるケースも出てきています。

ただ、毒親であれ親ガチャであれ、決して愛がないと言い切ることはできません

魂的な視点で見ると、魂年齢が未熟な人を自ら親として選び生まれてきているので、ブーブー文句を言いながらも自分の魂が成長に向かう上で最適な親であることは間違いないのです。

僕自身も親や兄弟から受けた暴言・暴力がずっとトラウマになっていますが、血縁関係という見方ではなく「神様が創造した一人の人間」という見方ができるようになってから、半分くらいは許せるようになりました(笑)。

結局、愛情があったからこそご飯を食べさせてくれたわけですし、一生懸命働いて学校に行かせてくれたわけです。

それを頭では理解していても価値観の違いが出てくると、家族だからという理由だけでは分かり合えないというのは当然のこと。別におかしな話ではありません。

一人さんが教えてくれた「愛」とは、100%完璧な人間による完璧な行動ではなく、未熟で不完璧な人間による不完璧な行動の中に隠されています。

例えば、身近で寒そうにしている人がいたら「大丈夫ですか?」「寒くないですか?」と、一言声をかけてあげるのも愛がなければできませんよね。

愛のある生き方がしたいけど何をしたらいいのかわからない!という方は、こういうちょっとした『声がけ』から始めてみてください。

一人さんいわく、人毛は愛が出ている時に恐れは出てきません。逆に、恐れが出ている時は愛を出すことができないんだそうです。

よくニュースでもやっていますが、煽り運転をして前を走っている車との車間距離をわざとつめたりする人っていますよね。

ああいう人はおそらく、普段から心の不幸を感じていて何かを恐れているのでしょう。

それが仕事なのかお金なのか健康なのかはわかりませんが、幸せに生きている人は他人に対して愛のない行動をとろうとは思いません。

なので、まずは自分を大切にして恐れを取り除いていくことです。

最初は、天国言葉(愛してます・ついてる・うれしい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・ゆるします)を口癖にするところから始めてみましょう。

恐れをなくして愛が出てきた時に、例えば、横断歩道で渡ろうとしている人がいたら「どうぞ」と笑顔で道を譲れるようになるはずです。

自分に何ができるんだろうと悩まなくても、「今日一日人に親切にしよう」という『思い』を持つだけですでに愛は出ています。

「愛」とは大げさなものではなく、ちょっとした気遣いで相手の心を軽くしてあげることですからね。

中には、落ち込んでいる人と同じ目線で話を聞いてあげることが自分の役目!と考える方もいますが、正直なところその行いはあまりおススメはできません。

もちろん前向きな話し合いは大事なことですが、一方的な地獄言葉(愚痴・泣き言・不平不満・文句・悪口)の場合、あなたは相手から「気」というエネルギーを奪われてしまうことになります。

一人さんのお話にも「同情=同じ状態になる」という教えがあるように、特に優しい性格の方は、感情移入しすぎて波動を下げないように十分注意するようにしましょう。

基本的に暗くなっている人が身近にいる場合、明るく励ましつつも自分自身の機嫌を自分でとることが第一です。

だってそうですよね。この世の中、明るい人が暗い人に合わせていたらみんなが暗くなってしまうわけですから・・・。

家族でも職場でもそうですが、誰か一人だけでも高い波動を保っていなければ共倒れ状態になってしまいます。

それで、今悩みを抱えている方は、悩みを打ち明けると同時に「話を聞いてもらってありがとう」「すごく気持ちが楽になったよ」と、最低限そういった感謝の気持ちを相手に伝えるようにしましょう。

一番よくないのは、相手の時間やエネルギーを奪うだけ奪ったあげく、平然とまた何度も何かある度に地獄言葉を吐く行いです。

人間生きていれば誰だって何かかしらの恐れは持っています。それでも、恐れを手放して「」で生きていきたいと全ての魂は望んでいます。

だから、嫌なことがあっても「はじめに言葉ありき」で、せめて言葉だけでも『天国言葉』を口にして、自分にも周囲にも安心感を与えていく必要があるのです。

また、マイナスとしか思えない出来事が起きた時の解釈としては、また一つ「前世の因果が解消されてよかった」ととらえて、それ以上は深追いをしないこと。

不幸の種を蒔けば不幸の実が実るわけですが、そこで地獄言葉を使わず『幸せの種』を蒔けば、必ず幸せの実が実るようになります。

以前はすぐにイライラしたり落ち込んだりしていたのが、今だったら笑顔で受け流すことができる。こうした魂の成長を一つ一つ大切に育んでいきましょう。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

感謝してます。




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