完璧にいかない自分を許して小さな改良を始める【斎藤一人】

こんばんは、ツイてる坊主です。

本日の斎藤一人さんの教えは、「完璧にいかない自分を許して改良するコツ」についてのお話です。

魂の成長には様々な形があって、学校での学びもあれば、社会へ出てからの学びもあります。

その中で、最初は「人の意見を素直に聞く姿勢」がとても大事。

斎藤一人さんの寺子屋講演会でもそうですが、一生懸命話をしても、話し上手な人もいれば話し下手な人もいます

こうした人前で話す場というのは、日常の仕事の中でもありますよね。

どんな仕事でも、講演でも、一生懸命話をしても、上手な人と下手な人もいる。ただ、自分が話し下手だとしたら、自分の実力はこのくらいなのかと、気付いて「改良」することができます。

例えば、話した時の映像や音声を後から見て、こういうところを直そうと、反省点を見つけて再度練習し、次の機会に生かすという流れです。

「もっと表情を穏やかにしよう」、「もっと相手が聞きやすいように声を出そう」、「もっと体験談や例え話を挟むようにしよう」。

このように改良して、お客さんに満足してもらった時、自分も心から満足することができるのです。

しかし、中には学ぶ気がない人もいて、周りの人から、「ここをもう少しこうした方がいいんじゃない?」と指摘されると、注意をされたと思って落ち込んだり、怒ってしまう人もいます。

これを神的な視点で見た時に、神様はそういう人に対して、別の形で学ばせる機会を与えるのです

この話は本当に、信じたい方だけが信じる内容になっているので、半信半疑であれば信じる必要がありません。

実は、聞く耳を持たない人には、世間の陰口や周囲の噂など、必ず「陰」から入ってくるようになっているんですね。

それによって、その人は傷ついた気持ちになるわけですが、それは「天の声」といって神様からの愛情。

だから、身近な人を論破したところで、必ず、何らかの別の形で入ってくる陰口によって、現状を再認識させられることになります。

でも、本来であれば、その人に改良する気持ちがあれば、わざわざ神様が外部からの陰口で学びの機会を与える必要はありません。

それに、あなたが陰口で傷つきながら学ぶこともないのです。

もしかしたら、あなたは周囲の人に「もっと何でも言ってほしいのに!」と思うかもしれませんが、おそらく、あなたには、周りが面と向かっては言えないような雰囲気があるのでしょう。

例えば、すぐに反発して怒鳴ったり、極端に落ち込んで愚痴を言うなど、何か指摘をすると変な形で返ってくる人には、誰も何も教えることができなくなってしまいます

要は、その人の我が強すぎるということ。

講演会でも何でも、もっと柔らかい気持ちで、「次からはここだけ笑顔にしてみよう!」とか、「もうちょっとわかりやすく楽しく話そう♪」とか、そういう「改良と実践」を10回くらい繰り返す素直さがあれば、大概は少しずつよくなるものです。

素直に聞く耳を持って改良し、相手が満足した時、自分も心から幸せを感じることができるでしょう。




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