みなさん、こんにちは!ツイてる坊主です。
本日は、斎藤一人さんが尊敬する、小林正観さんから学んだ「素直に人に迷惑をかけながら生きなさい」というお話をしたいと思います。
よく、親が子供に対して、「人に迷惑をかけてはいけないよ」という言葉を使います。
この言葉は、人に害を及ぼしたり、警察沙汰になるようなことはしちゃいけないよ!という意味で、使われるものなのかもしれません。
ただ、中には「迷惑」に対する間違った解釈をしてしまう方もいます。
例えば、年をとると人に迷惑がかかるから自分一人で生きていくとか、自分の存在が場の空気を悪くしてしまうから仲間はいらないなど。
要は、「人に迷惑をかけてしまうとダメだから。。」といった理由で、過度に委縮してしまい、頑固になって、自分を卑下してしまうケースです。
一見、このような姿勢は「謙虚な人」にも見えますが、幸せな人生を送る上では、その考え方が足を引っ張ることも多いのではないでしょうか。
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何か困っていて助けてほしい時、相談に乗ってもらいたい時、不安や心配事があって抱え込んでいる時も、人の力を借りたら迷惑がかかるかもしれない。
そう思ってしまうと、非常に息苦しい人生になってしまいますよね。
また、「自分は人に迷惑をかけていない、正しく生きている!!」という概念は、見方を変えると、「いつも自分の力だけで生きている!」という『傲慢さ』にもなります。
そうなると、いつも素直で、周囲の人に可愛がられながら「成功の道」を歩んでいる人を見ると、なぜか許せなくなってしまうんですね。
そして、次第に劣等感も強くなるので、「自分一人でもすごい結果を出せるはずだ!」と、意地やプライドが先行してしまうようになります。
でも、最低限の法律やルールは守るにしろ、基本的に、人間は人に迷惑をかけながらしか、生きていくことはできません。
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小林正観さんもおっしゃっているように、人間は、たくさんの人、物、動物、植物に迷惑をかけながら生きています。
お米、麦、魚、豚、牛など、あなたが生きていくために、多くの犠牲が伴っているんですね。
そう考えると、「迷惑をかけるのは申し訳ない」ではなく、「自分を支えてくれている存在に感謝しながら生きていこう!」と、そういった前向さを持った方が幸せ。
例えば、老後の生活においても、神的な視点でみると、助ける側にも「奉仕」の学びがあり、助けられる側にも「感謝」の学びがあります。
なので、体が不自由になった時は、素直に「ありがとう」と言いながら、お世話になることがあなたにとっての修行です。
そこで、見栄や意地を張りたくなっても、迷惑をかけないことが「愛」ではありません。
素直にお世話になれば、「お世話をする人」にとっては徳を積むことになるわけですから、あなたは、現状を受け入れることが、相手に対する「愛」になります。
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つまり、自我の強さで生きてきた人ほど、病気や老化を通じて、「自分一人の力は無力でたいしたものではない」ことに気付く『定め』があるということ。
世の中には、傲慢で意図的に迷惑をかける人もいれば、真面目で人に迷惑だけはかけたくないと思っている人もいます。
ただ、おそらく前者と後者は1:9くらいの割合で、後者の考えを持った人の方が多いと思います。
どちらにしろ、「感謝」を学ぶ人生につながっていくもの。
自立心を持って強く生きるのは自由ですが、人間は死に向かっていく過程で、必ず人に迷惑をかけながら、「感謝の心を持ち素直に生きる」ことになります。
今、このことに気付いた人は、今のうちから、身近な人や人との縁、衣食住を大切にしながら生きるようにしましょう。