夫に暴力を奮われても離婚しない妻に対する見方【斎藤一人】

こんにちは、ツイてる坊主です。

今日は、「夫に暴力を奮われても離婚しない妻に対する見方」というお話です。

よく、夫婦は似た者同士といわれますが、中には「妻が夫に暴力を奮われていても離婚しないケース」ってありますよね。

それでいて、妻は別居して家を出ることもしない場合、周りの人は当然、心配するでしょうし、夫に対してはひどい人!という見方をするのが当然です。

しかし、暴力を奮われていながら何年も離れないということは、今後も別れることはないと考えることもできますよね。

その時に、例えば、孫が「おばあちゃんはいつも殴られていてかわいそうだ」という見方をしてきたのであれば、その見方を変えて、「おばあちゃんって強い人なんだね!えらいね!!」と解釈してみる。

すると、周りの人が味方を変えるだけで、自分も周りの人もみんなの波動が良くなって、なぜかみんなが明るい方向に向かい出すということもあるんです。

要は、ひとりさんが教える精神論というのは、起きた出来事に悩むことでも、周囲の人を変えることでもなく、自分自身がどんな「考え方(解釈)」をしたら幸せになれるのか、そこを追求していくものなんです。

なので、どうせ別れられない似た者同士の夫婦なのだとしたら、おばあちゃんのことも認めてあげて、おじいちゃんのことも認めてあげる、これが幸せになる考え方。

もちろん、状況によっては、本当に何とかしてあげなければいけないケースもあると思います。

ただ、それも含めて、考え方は一つに限ったものではないので、いろんな角度から見てあげて、これでダメなら別の手でと、次々と柔軟に考えていくことが大事。

以前、ひとりさんの話で、「神は犠牲を嫌う」ということをおっしゃっていましたが、自分を犠牲にして人を助けようという考え方を神様は嫌うんだそうです。

だから、『自分を愛して他人を愛する』という、この2つのバランスをとらないといけません。

つまり、本当の愛とは、自分が苦しみながら与えられるものではなく、また、人を無理に変えることでもなく、まずは相手のことを認めてあげることです。




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