こんばんは、ツイてる坊主です。
本日の斎藤一人さんの教えは、「人生の岐路」についてのお話になります。
「過去のあの出来事がきっかけで人生が変わった」など、誰にでもそういった人生の岐路ってありますよね。
斎藤一人さんによると、日々の生活の中で、常に人生の岐路は変化しているとのこと。
というのも、実は、毎日の人間関係で、あなたの会う人に対する接し方が「人生の岐路」に大きな影響を及ぼしているんですね。
だから、中には、人が傷つくようなことを平気で言う人もいますし、逆に、愛のある顔で、愛のある言葉を言う人います。
では、実際に、愛のある顔で愛のある言葉を言う人を、具体的にイメージすることができますか?
例えば、自分より年上の人に話しかける時に、パッと見て「おばさんかなぁ」と思っても、「お姉さん!」と呼ぶようにする。これは愛のある人です。
一方で、人が傷つくようなことを平気で言う人というのは、要は、人の気分が悪くなる愛のない言葉を使う人のことをいいます。
例えば、髪の毛の薄い人を見つけて「相変わらず髪の毛薄いね!」というのは、仮に笑いをとることが目的だったとしても、絶対にやっていはいけないことなんです。
また、太っている人に「また太ったね!」というのも、全く愛がありませんよね。
このように、会う人会う人に、あなたはどんな顔でどんな言葉をかけているか、これによって、少しずつ人生の岐路が変わってきます。
氷山に衝突してしまったタイタニックも、遥か前から少しずつ曲げていたら当たらずに済み、例え、当たってもたいしたことはなかったでしょう。
では、今まで自分に起きた試練の中で、大学に落ちるという岐路があったとしたら、それはその人にとって、一体、どんな意味があったと思いますか?
その時は大きなショックを受けて、自分を責める日々だったでしょう。しかし、もしかしたら、人が落ちた時は、愛の無い言葉を発するような側面を持っていたのかもしれません。
愛のある言葉をかけられる人は、「大丈夫だよ、あなたを快く受け入れてくれたところがいい学校なんだから、またそこで頑張ろうよ」と、励ますのではないでしょうか。
だから、普段の人間関係がいかに大切か、ちょっとした愛のある一言が、人生の岐路を左右する分かれ道となります。
もちろん、大学に落ちる原因は一つではないと思います。
ただ、仮に大学に受かった人であっても、自分の能力を自慢したり、愛のない態度をとったりしていると、人生の岐路は悪い方に傾いていくことになるでしょう。
つまり、「俺はえらくておまえらはバカなんだ!」という態度でいると、なぜか初めて会った人とトラブルに遭うなど、タイタニックのように少しずつ悪いタイミングに遭遇してしまうことになります。