こんばんは、ツイてる坊主です。
本日の斎藤一人さんの教えは、「人間には自由意思がある」というお話です。
神様は、唯一人間にだけに自由意思というものを与えました。
天国からこちらの世界に出てくる時に、「人をいじめます」とか「人を殺します」と言って、出てくる人は一人もいません。
必ず、「幸せになって人に親切にします」と言って、この地球に生まれてきています。
しかし、人間の自由意思を使って、それを実行に移さない人がいるんですね。中には、斎藤一人さんの天国言葉を知っていても、やらないような人います。
では、神様が与えてくれた人間の自由意思によって、幸せの道に反した行動をとっている人にはどんな現象が起こるのでしょうか。
実は、人が不幸の道に進んでいる時は、「悩み」や「苦労」という形で、神様からメッセージが届くようになっているんですね。
つまり、あなたのその自由意思の使い方は、間違っていますよ!というサインで、立て続けに嫌なことが起きたり、トラブルに見舞われたりと、何かと思うような展開にはならないのです。
例えば、なかなか出世できない、恋人ができない、女性に逃げられる、いろんな病気にかかる、心が満たされないなど、その人によって起こる現象は様々。
だから、人間が自由意思を使う時は、意識的に「明るく生きて人に親切にする」。この意識を常に持ち続けなければなりません。
ただ、もしかしたら、世の中の多くの人は、このことを理解しているのかもしれません。もし、理解しているのに行動できていないのであれば、それはなぜだと思いますか?
一つの要因としては、「自我(エゴ)」によるもの。よく、「あの人は我が強い」と言ったりしますが、「我(が)」という傲慢さがあるのです。
その事例として、下記3つのケースを挙げてみましたが、あなたはどのように感じますか?
1、役に立つ知識を持っているのに、出し惜しんで人に教えない。
2、自分が成功したことを人に威張ったり、人の失敗をバカにする。
3、美味しい食事をしているのに、食べ物を悪く言うなど感謝がない。
果たして、こういった人間が「明るく生きて人に親切にしている」といえるでしょうか。
自分だけが幸せならそれでいい、自分は成功したから人は関係ない、衣食住が満たされているのは当たり前。
こういった自我の強さを持ち続けていると、神様から「あなたの自由意思は間違っているよ!!」という意味で、ありとあらゆる悩みや苦労が、次から次へとやってくるのです。
もちろん、明るく生きて人に親切にしているような人であっても、たまには嫌な出来事が起きることもありますよ。当然、ひとりさんにだって嫌なことはあります。
しかし、例えば、いきなり上から物が落ちてきて肩を痛めたとしても、「頭に当たらなくてよかった。ツイてるな。頭だったら大変なことになってたよ」と、そう解釈するんですね。
また、仮に「交通事故」に遭って、相手の車が一方的に悪いケースだったとしても、最初は「痛ぇな、このヤロー」と思うところまではみんなと同じ。
ところが、すぐに「いや~、これだけ強い衝撃で打撲で済むなんて、運がいいな♪」と、天国言葉を使って、さらに、後々、その出来事を笑い話に変えることもできます。
このように、普段から神様が与えてくれた自由意思を、良く使うか悪く使うか、日常の小さなことの積み重ねや解釈次第で、幸せになることもできれば、不幸になることもできるのです。
あなたが明るい気持ちで、幸せの道を進んでいる時に、出てきた試練を乗り越えた時は、さらに幸せになるような「ご褒美」が待っています。
一方、暗く冷たい気持ちで、不幸の道に進んでいる時に、出てきた試練を乗り越えると、「報い」として、さらなる悩みや苦労が待っています。