相手のことを考えた愛とエゴの愛は類似している【斎藤一人】

こんばんは、ツイてる坊主です。

本日の斎藤一人さんの教えは、「愛とエゴは類似している」というお話です。

この世の中には「愛」という言葉があって、多くの人は「愛とは素晴らしいもの!!」という認識で、肯定的に使うことが多いと思います。

しかし、母国を愛するが故に、他の国の人間がどうなってもいい!これも愛ですよね。

民族愛とか祖国愛といったものから戦争につながるという、間違った愛に向かってしまうこともあります。

また、自分の家族には愛情があって大切にするけど、隣の子供が事故や病気になっても全く「無関心」というケースもあるでしょう。

要は、視野の狭い愛情というのは、時としてエゴになってしまうんですね

だから、愛とエゴは似ていて、我の強い人ほど「おまえのためを想って言ってるんだぞ!!」というような言葉を使ったりするもの。

でも本来、愛の観念とは相手のことを一番に考えることです!

その時、人が人のためにできることって何だと思いますか?

相手を変えることでも、思い通りにすることでも、自分を犠牲にすることでもありません

実は、「いつも笑顔で明るく上機嫌でいること」。これが世の中で一番の奉仕であり、ボランティアでもあるんです。

その上で、黒人でも白人でもいい、価値観が違ってもいい、宗教が別々でもいい、皆それぞれが幸せになることを応援することが大事。

なので、あなたが持っている「愛」が、自分を愛する自己愛なのか、相手のことを考えた愛なのか、その見極めをいつも心の中で判別するようにしましょう。

例えば、自分は助かるけど相手が迷惑してしまうケースもありますし、自分は苦痛だけど周囲が喜んでくれるケースもありますよね。

正しい愛とは、まず、自分自身が楽しくて上機嫌な状態を作ること、それを前提として、相手の役に立ったり喜んでもらったりすることです。

結果として、「自己愛」なら相手も自分も不快な気分になるでしょうし、「相手のことを考えた愛」なら相手も自分もハッピーな気分になります。

これまで「おまえのために!!」といって、人に厳しい説教ばかりしてきた人も、自分の心が穏やかで上機嫌の時は、人に対して攻撃的な姿勢を持とうとは思いません。

それどころか、「もっと人の心が軽くなることを言わないとダメだ!!」ということにも気付くようになるでしょう。




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