みなさん、こんにちは!ツイてる坊主です。いつもありがとうございます^^
本日は、斎藤一人さんから学んだ、「マジメで賢い人は神様の後押しを受けにくい」というお話をしたいと思います。
この話は、決して、マジメに努力する人を否定する内容ではありません。
また、直感のひらめきで出た知恵を、賢く使うことが悪いわけでもありません。
あくまで、この宇宙の仕組み上、神様が後押しする人の特徴というのは、ひとりさんもおっしゃっているように、感覚的に物事を明るく軽く捉える陽気な人なんです^^
極端な話、真顔で暗く重く考えながら過ごす人と、笑顔で明るく軽く考えながら過ごす人とでは、間違いなく、神様は後者の人を応援します。
もちろん、信じなくても構いませんよ(笑)。職業柄、クリエイティブな仕事をされている方であれば、前者に当てはまる方もいらっしゃるかもしれません。
ただ、きっとその人の中には、ワクワク感や心地よさが、心の中に溢れているのではないでしょうか。
今回のひとりさんの教えで大事なポイントは、前者が正しさを優先し、後者が楽しさを優先しているという点です。
あなたも今一度、過去を振り返り、「正しさ」を優先した時と「楽しさ」を優先した時、どちらを選んだ時の方が幸せだったか、豊かだったか、成功していたか、ちょっとだけでいいので振り返ってみてください。
おそらく、真顔で暗く重く考えるマジメで賢い方ほど、いざ運目の分かれ道が来た時に、正しさを優先してきたのではないかと思います。
まじめな人というのは、例えば、斎藤一人さんの講演会で、あの講演ではこう言ってたのに、今回は逆のことを言っていたのはなぜ?と、話を聞けた喜びや感謝よりも先に、正しさを優先してしまうのです。
真面目で、賢くて、理論的に物事を正しく判断し、行動できるというのも一つの個性なので、その個性が悪いと言っているわけではありませんよ。
そうではなく、大事なポイントは、その考え方で「幸せ」に生きられているかどうかです。幸せとは、思考で理解するものではなく、感覚で感じるものですよね。
あなたが今、心から幸せな人生を送れているのであれば、そのままの考え方で問題ないでしょう。
しかし、どれだけ知識を蓄えても、知恵を身につけても、日々、心がモヤモヤしていて気を揉んでしまう。そういった状態であるならば、その生真面目さが足を引っ張っている可能性が高いです。
もし、今後は、斎藤一人さんの教えに限らず、誰かの意見を参考にしたいと思うのであれば、下記のような「シンプルな解釈」を習慣にしてみてください。
1、怪しそうな人だな。でも、とりあえず一通り話を聞いてみて、自分の人生に取り入れられる部分があれば、無理なく気軽に試してみよう♪
2、宇宙の法則の話を聞いて学んでみたけど、よくわからなかったな。でも、この人が悪いわけじゃない。自分に合った別の師匠を探してみよう。
3、この人の話には、矛盾点が多くてあまりしっくりこなかったな。でも、声や話し方が好きで、聞いているだけで心地がいいし、明るい気分になる。
このように、相手を正しく裁くのではなく、白でも黒でもないグレーゾーンのとらえ方で、明るくその人を許容することで、ハッピーな感覚が備わってくるようになります。
これは、ぜひ実際に、試してみてください。何でも白黒はっきりさせようとすると、苦しくなってしまいますからね。
この宇宙には「引き寄せの法則」といって、今をいい気分で生きていると、その波動(振動数)によって、奇跡とも思えるような現象が起きることがあります。
「ワクワク」や「いい気分」によって生み出される『いい波動』というものは、『心』から湧き出るものであって、決して、頭で考えた理屈で生み出されるわけではありません。
なので、学歴でも何でも、頭の良し悪しに比重を置きがちですが、本来であれば、「きれいな心」を大切にしなければならないんです。
よく、神様はきれい好きだから、部屋をきれいに掃除していないとお金が入ってこないよ♪といわれますが、神様のきれい好きは、「目に見える形」だけが全てではないんですね。
目には見えない『無形の心』に対しても、同じような視点で見ているわけです。
だから例えば、「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」と、親や先生が子どもに教育する時、心の中では「黙って俺の言うことを聞いていればいいんだよ!!」と、思っていたとしますよね。
すると、その心の声は、直接相手には届いていなくても、なぜか、その人から出ている波動でわかってしまうわけです。
何となくの「雰囲気」や「空気感」によって、相手の汚い心もきれいな心も、ちゃんと伝わるものなので、隠すことはできません。
仮に、その場しのぎでごまかせたとしても、神様は、汚い心を持った人を味方しようとは思いませんから、病気・事故・トラブル・解雇など、ありとあらゆる形で、「その生き方を改めなきゃダメだよ」というサインが与えられることになります。
ただ、それを決して『天罰』というとらえ方はしないでください。神は人間に罰を与えることはしません。
罰ではなく、その人にとって、ストップがかかるような出来事が起きることで、これまでの生き方や考え方を軌道修正することができるわけです。
そして、その経験の一つ一つが、魂の成長につながるので、結局、全ての現象は神の愛です。
斎藤一人さんの教えの中で、「威張っちゃいけない、ナメられちゃいけない」の言霊を大切にするんだよ♪というものがありますが、これって簡単なようで簡単ではありません。
特に、真面目で賢い人ほど、勉強ができる、仕事ができる、給料が高い、高学歴、出世、優秀、こういったワードが強いわけですが、そんな中でも謙虚さを保ち続けるのは、なかなか難しいことだと思います。
逆に、不器用で優しい人というのは、協調性があって親切な側面を持っていますが、その分、周囲の人からバカにされたり、論破されたり、そういう場面が多くなってしまいます。
その代わり、後者の場合、理屈で考える前に、心で感じることができるので、「直感」や「ひらめき」などのインスピレーションに助けられることも多いはずです。
こういったことから、真面目や賢さが悪いわけではないけれど、次々と願い事を叶えたり、幸運を引き寄せるためには、やはり、神が好む『きれいな心』を大切にすることが必要不可欠といえるでしょう。
きれいな心といっても、とてもシンプルなもので、「明るく生きて人に親切にする」。これだけで十分です。
ひとりさんもおっしゃっているように、あなたがいつも上機嫌でいることが、この世で一番のボランティアです。
ということで、本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝してます^^