こんばんは、ツイてる坊主です。
本日は、斎藤一人さんの「人の話を聞かない頑固な人を救うことはできない」というお話について、解説いたします。
この話を聞いた時に、もしかしたら「ひとりさんって冷たい人だな」と思う方が、何人かいるかもしれません。どう解釈するかは個人の自由ですが、『本当の人助け』とは何なのか、その辺を今一度考える機会にして頂ければ幸いです。
まず、ひとりさんもお弟子さんも、まるかんの人も、基本的には皆、いつも笑顔で優しくて親切な方々です。
不安や恐怖、悩みを抱えている人を救いたい!という気持ちを持っているからこそ、相談に来た人に対して全力でアドバイスを行っています。
ただ、中には、どうしても救うことができない人もいるんです。この人だけはどの角度から話しても救うことができないという、そういうタイプの人が一定数いるんですね。
それは、頑固で聞く耳を持てない人です。ずーっと自分の話をしていたり、改善点を指摘されるだけで怒ったり、怒鳴ったり、反発したり、地獄言葉ばかりを吐き続けたりする人には、どんな救いの手も届きません。
ひとりさんいわく、そういう人をどうにかすることはできないとのこと。
なぜかというと、「心に灯をともす」という行いは、相手が「心に灯をともしてもらいたい」という意思があって、初めて成り立つものだからです。
だから、中途半端にそこで構ってしまうと、ちょくちょく迷惑をかけに来るようになります。そして、人に迷惑をかけることで相手からエネルギーを取るようになるんですね。
例えば、天国言葉の「ありがとう」を言うといいよ!と教えても、「俺はそんなの言いたくない」とか「言っても意味がないだろ」とか、そういったことを言います。
そういう人が現れた時は、ばっさりとその人との関係性を切ってしまわないとダメです。
例え、それによって周囲から「冷たい人ですね」と言われようが、そういった人との縁を完全に断ち切らなければなりません。
そうしないと、あなたのエネルギーが奪われてしまいますし、お店の環境も悪くなり、他の人にも悪い影響を与えてしまうことになります。
おそらく、「もうここに来てはいけないよ」と言われた人は、これまで以上に不平不満、愚痴、泣き言、悪口を言うようになるでしょう。
しかし、『はじめに言葉ありき』という教えをバカにしたり、全く聞く耳を持てない人というのは、一言で言うと、日々の生活に感謝の気持ちがない人。
ご飯が食べれて幸せだなぁ、日本に生まれて運がいいなぁ、桜の花がきれいで美しいなぁ、目が見え、耳が聞こえ、手があり足がある。こういったことに本当は感謝をしないといけないんですね。
例えば、「今日も一日、うれしき・楽しき・ありがたき」という言葉を口癖にすると、嫌なことがあっても『災い転じて福となす』といって、いいことに変わります。
一方、嫌なことがあった時に、愚痴や悪口を言う人には、さらに悪いことが起きるようになるのです。地獄言葉を口にしながら、幸せの道に進むことはできません。
確かに「心」を重んじる日本の文化もありますが、ひとりさんの教えでは、心で思えなくてもいいから「言葉」を変える必要があるのです。
なぜなら、お店に行っても言葉にしなければ注文できないのと同じで、この宇宙は、「言葉」にしたものが現実になるようにできているからです。
天国言葉を言い、顔につやを出し、明るい服装をする。こういった形から入る行動をとることで、現実に変化が起きるんですね。
もし、心だけで人生が好転するのであれば、お釈迦様が、滝に打たれたり、座禅をしたり、断食をしたりしたことで、完全に悩みをなくし、幸せな人生を送れたはず。
でも、最終的に出た結論が、「はじめに言葉ありき」だったのです。