こんばんは、ツイてる坊主です。
本日は斎藤一人さんの「あなたは困らないと学ぶ気にならない」というお話について、解説いたします。
世の中には、お金に困っている人や人間関係で困っている人など、ありとあらゆる悩みや不安を抱えながら生きている人がほとんどだと思います。
もちろん、ひとりさんにだって、嫌なことや苦手なことで面食らうこともあるので、現実的な視点で考えると誰にでも困ったことは起きます。
ただ、神的な視点で見ると、実は、困っているのではなく「学んでいる」という見方ができるのです。
例えば、競馬やパチンコなどのギャンブルにハマってしまい、借金を抱えてしまった人は、困っているようで「お金のありがたみ」を学んでいるのかもしれません。
また、階段で足を踏み外し、片足を骨折してしまった人は、「不自由な人の気持ち」を知ることで、人に親切にすることの大切さを学んでいるのかもしれませんよね。
中には、毎日家に引きこもって、一生働かずに楽をしたい!という人もいますが、そういう人は「このまま何もしないとどうなるのか」を学ぶことになるでしょう。
このように、必ずしも「困っている人=不幸」とは限らないのです。
確かに、その当人や周囲の人にとっては、毎日、困っていて苦しんでいると感じるかもしれません。
ただ、そこで安易に手助けをしてしまうことで、「その人の学ぶ機会が失われる」こともあるので注意が必要。
じゃあ困るだけ困って、学んでいることに気付けない人はどうしたらいいの?と思うかもしれませんが、人は、「本当に困った状態にならないと学ぶ気になれない」という特徴があります。
だから、行き着くところまで行き着いて、「本当に何とかしたい!何でもやります!」という状態になった時、ようやく行動を変えられるようになるのです。
例えば、仕事をしなくても親にお金をもらえる環境にいる子供は、支援してくれる親とつながりを持っている限り、なかなか行動を変えることは難しいでしょう。
その代わり、いずれ親が病気をしたり亡くなったりした時、お金の尊さを知り、親のありがたみを知り、仕事の価値に気付くなど、そういった一つ一つのことを学ぶことになります。
こういう話を聞くと、「最初から素直に聞く耳を持っていればよかったのに!」という人もいますが、人間が学びを始めるのは、困ってからでも遅くはありません。
むしろ、困ってからでないと、人は決意を持って学ぶ気にはなれないのです。
「私は子供の頃からこんなに苦労してきたのよ」と、いくら子供に苦労話を聞かせても、その子供は困っていませんからね。
それよりも、あなた自身が幸せそうな顔をして、明るく、笑顔で、楽しいことに目を向けることが大事。
そういう人の姿を見ていると、暗闇の中にいる人も、必ず光の方へ向かいたくなってくるもの。
学校へ登校できなくなった子供も、会社に通勤できなくなった大人も同じです。「あなたのためを思って言っているのよ!」という、あなたの言葉に愛を感じることはありません。
これは本当に大切なことなので、何度も言いますが、そういう言葉を使う前に、まずは、あなた自身が毎日、「明るくて、笑顔で、幸せそうな姿」を見せること。
そして、いつもあなたの「ありがとう」や「感謝」などの、天国言葉を耳にしているうちに、少しずつ心を開き、愛と光を感じるようになるでしょう。