体が弱かったから自分で青汁酢を作った【斎藤一人】

こんばんは、ツイてる坊主です。

本日は、斎藤一人さんの「銀座まるかんを創業した経緯」というお話について、解説いたします。

ひとりさんは、子供の頃から体が弱く、本当に起きられないくらい体が重くてだるかったんだそうです。それで、しょっちゅうお医者さんが来て注射を打たれていました。

他の子ども達は元気に走っているのに、自分は立ち上がる動作だけでも精一杯の状態

当然、親御さんがひとりさんのことを心配して、西洋医や漢方などいろんなことを試しましたが、それでも治りませんでした。

そんな中で、本を読むのが好きだったひとりさんは、毎日1~2冊の本を読んでいたんだそうです。お風呂でもトイレでも本を読み、寝て起きたらまた本を読むという生活。

こういった生活だけを見ると、世の中には同じような人がいるかもしれませんが、ひとりさんの場合は、ちょっと変わった側面を持っていたのです。

なんと、本屋さんに行くと「自分に必要な本」が、なぜか出っ張って見えるんです。そして、本を読んでいると必要な言葉が浮き出て見えるんだそうです

しかも、そこで見た言葉は何年でも忘れないだけでなく、後々に、必ず使うことになるんだとか。

これは、普通に考えたらあり得ない話ですが、ひとりさんの場合はちょっと変わった人ですから、不思議な体験をすることが多くありました。

また、いろんな本を読みながら、自分の体がどうやったら健康になるのかを勉強しているうちに、ひとりさんは、人間の体が簡単な仕組みでできていることに気付きます

その簡単な仕組みとは、人間の体は「肉体」「魂」の2つでできているということ。

肉体は食事でできているので『食事のバランス』をとればいい。食事のバランスが摂れてくるときれいな血液ができてきれいな細胞ができます。また、魂というものは、『考え方』でどうにでもなることがわかりました。

つまり、不健康の原因は、食べ物が悪いか考え方が悪いという結論に達したのです

ただ、当時は健康食品が無かったので、自分で作った「青汁酢」を飲んでいたんだそうです。

そんな時、具合いの悪いお姉さんに飲ませてあげたら、そのお姉さんが元気になり、隣のおばあさんも元気になり、そのうちに、いろんな人がタッパを持って訪ねてくるようになりました。

そして、ものすごい数の人が「原料代を渡しますから」と言って来るようになり、仕入れにいかなければ量が揃わなくなってしまったんです。

そういった経緯で、斎藤一人さんは営業や仕事を全くしないまま、「日本漢方研究所(銀座まるかん)」の会社を創業することになったのです。

さらに、精神的な話を聞きたい人も増えて、ブラジルから来る人もいればテープレコーダーを持って聞きに来る人もいました。

しかし、当時、国自体が健康食品を認めてなかったため、その青汁酢は「食前の方が吸収がいいよ!」とか、「何粒飲むといいよ!」と言っただけで逮捕される時代。

しかも、そのことが「薬事法第何条に違反しました」という形で、犯罪者のように新聞に載る時代だったので、その活動を続けること自体がリスクでした

ただ、ひとりさんに助けられた人達は、強い恩を感じているので、大学病院に行ってひとりさんの話をして人を連れてくるなど、「先生のことは命がけで守るからこの運動を続けてください」と、そう言っていたんだそうです。

ひとりさんは、「自分の周りについてきた人が逮捕されるようなことはできない!」ということで、しばらくの間は、あまり規制が厳しくなかったダイエットの商品を取り扱うことにしました。

その時みんなに、「いつか必ず、この青汁という元の原点に戻るから!」と約束。この約束は、銀座まるかんによって見事に果たすことができました。

そして今でも、昔のように10人20人で膝をつき合わせて、仲間と語り合うのがひとりさんの楽しみとなっています。

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