神頼みっておかしいこと?宗教なの?

お墓参りに行ったり神社にお参りしたり、当たり前のように冠婚葬祭に参加したり、昔から続いてるものは守り続けるのが正解という認識が強いかと思います。

大衆が右を向いているのに自分だけ左を向いていたらおかしいというのもあるでしょう。

ただ、なぜか「人の幸せを祈る」とか「困った時の神頼み」は、すぐに宗教ですか?という発想になりますよね。

定期的にお墓にも神社にも行っているにも関わらずです。。。

世の中には2つのパターンがあって、信者を集めてお金を回収することで成り立つもの(宗教)もあれば、魅力的な人に無料でファンが集まることで成り立っているものもあります。

どちらも類似しているようで、前者は遅かれ早かれお金を取ります。なぜなら、お金を取らないと立派な建物を建てることも生活することもできないからです。

そして、宗教というのは無理やり勧誘をします。私も経験がありますが、嫌がっていても断っていてもしつこく誘ってきますし、嘘をついて騙そうとしてくることもあります。

一方、後者は、その人の考え方や教えに共感して自分の意思で会いに行くもの。しかも無料で最終的に何かを売りつけられるようなことはありません。

ちなみに、宗教というのは、最初は後者と同じような仕組みを作りますが、最終的に会費を払わせたり、ツボや教材を売りつけてきます。

では宗教と本物の人をどうやって見分けたらいいのか、その見分け方は、ちゃんとその人が事業収益を上げているかどうかを調べること。

例えば、納税日本一の斎藤一人さんの場合、事業でちゃんと収益をあげているので、講演会は無料ですし、そもそも出版や講演料で生活しているわけではありません。

また、宗教のように、立派な建物を建てて自分を崇拝しろといったようなおかしな仕組みなんか絶対に作らないです。

そもそも斎藤一人さんの教えというのは、神様は人間一人一人に「内神様」という形で存在しているという考え方なので、自分を犠牲にして人に尽くすという犠牲の精神は皆無なんですね。

その辺をしっかりと学んだ上で、本当に心から「幸せだなぁ」と感じられる道に進んでいってもらいたいと思います。

人に依存して執着して崇拝して、ツボを買って幸せになれるという宗教が幸せの道なら、すでにあなたは幸せになっているはず。

もしそうでないなら、これまでの自分の考え方が間違っていなかったか、洗脳されていないか、今一度改めるのも一つの選択肢だと感じます。

幸せ